※12 伯顔バヤン(1236〜94):「将相の才を兼ねる」と評された元初の功臣。 フビライの弟フラグ(イル=ハン国の建国者:位1256〜65)の下で戦功を 重ねたが、フビライに請われ直臣となった。1274年以降、対宋戦の総司 令官となり、多民族で編成された軍を巧みに統率し、南宋の都市を次々 に攻略、76年には南宋の都臨安府を陥落させ、宋の皇族を捕虜とした。 その後はモンゴル高原に赴き、フビライに対して反乱を起こしたオゴタイ =ハン国のハイドゥ(?〜1301)との抗争で功績を挙げた。フビライの死 後は、皇太孫テムル(成宗:位1294〜1307)を即位させ、開府儀同三 司、太傅、録軍国重事の称号を与えられ、年若い新帝を支えた。 バヤンとは、モンゴル語で「富裕な者」を意味するが、この音は中国語 の「百眼」に通ずるため、マルコ=ポーロの『東方見聞録』では、「百の 眼の怪物が南宋を滅ぼした」と記されている。 −窓を閉じてお戻り下さい−




copyright © 2009 尾木流水
このサイト内にあるすべての文章・画像の複製を禁ず。
inserted by FC2 system