※11 賈似道(1213〜75):南宋末の宰相。いわゆる進士出身では なかったが、姉が理宗の貴妃となったことから中央官界に抜擢され、 最高権力者として権勢を振るった。専横を極め、自身の独裁のため に粛清を行なったことから、宋の四悪人の一人にまで数えられるほ ど評判が悪く、『宋史』でも奸臣として扱われている。武官達から深 く怨まれており、フビライが降伏した南宋の将軍達に、降伏の理由 を問うたところ、将軍達は口々に「賈似道が我々を軽んじたからだ」 と恨み言を述べた。これに対しフビライは、「お前達を軽んじたのは 賈似道であって、お前達が宋の皇帝に背く理由にはなるまい。賈 似道がお前達を軽んじたのも当然であろう」と答えたという。賈似 道の政治云々以前に、南宋という国家自体が滅亡の道を歩んで いたと言うべきであろう。モンゴルとの困難な外交交渉に腐心す る一方で、国内の幣制や土地問題の解決に大胆な改革を断行 するなど、一面では評価に値する政策も行っており、賈似道なれ ばこそ、南宋の延命に成功したとの評価もある。 −窓を閉じてお戻り下さい−




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