※2 隋の文帝(541〜618):名は楊堅。隋の初代皇帝(位581〜604)。 北周(556〜581)の外戚として実権を掌握し、禅譲によって隋を建国した。 589年に南朝の陳(557〜589)を併合し、西晋(265〜316)が滅亡した永 嘉の乱(311〜16)以来、実に二百七十年ぶりに中国を統一した。トルコ 系遊牧騎馬民族である突厥の東西分裂を画策する一方で、均田制及び 府兵制を整備し、また科挙を創設して皇帝権の強化に努めた。北周王朝 内で家柄がそれほど高くなかったこと、幸運に恵まれて皇帝となったこと への反感、自己の地位を安泰にするために同じ武川鎮ぶせんちん軍閥出身の宇文 氏を誅殺したことなどから、在世中の評判はそれほど芳しくなかったが、 科挙を実施して魏晋南北朝以来の門閥貴族勢力の打破を図ったことに 象徴されるように、時弊を見抜く力をもち公正な政治を心掛け、皇帝とし ては名君の賛辞に包まれている。 −窓を閉じてお戻り下さい−




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